ギャグ漫画家は絵がうまくなってはいけないのか? | 日々だらくだるく

ギャグ漫画家は絵がうまくなってはいけないのか?

タイトルは釣り気味ですよっとコウです。

ま、実際のところギャグマンガの面白さとと絵のうまさは全く相関性がないのは事実。
むしろ反比例するんじゃないかと思えることもしばしばあります。

例えば八木教広先生の「エンジェル伝説」なんかは典型例でしょう。

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『エンジェル伝説』の主人公・北野誠一郎は天使のように心が純粋でやさしい少年なのだが、極端なまでに黒目が小さく、生来の色の白さは年中ある目の下のくまとともなって麻薬中毒患者のようであり、眉も非常に薄く、寝癖のひどい髪はポマードでびっしりとかためられている。

つまりこんな顔。


日々だらくだるく-北野くん1

どこのチンピラでしょうか、この少年。
こんな容貌のため、ひたすら誤解される+純粋ゆえの天然っぷりのギャップがこの漫画の売りです。
模範的少年の思考をしつつこの顔ですので、絵とネームの相乗効果が凄まじくほぼ全ページ笑いどころという脅威のギャグマンガが生まれました。マイフェイバリットです。


しかし2巻あたりから作者の絵が凄まじく上達していき、後半ではこんな顔に


日々だらくだるく-北野くん2

あらやだかわいい!!
いやまだ十分凶悪な容貌だという人もいるかも知れませんが、自分にとってはこれは可愛いです。北野くん可愛い!ぺろぺろし(ry

設定の時点でもう反則的に面白いため絵がどうであろうと笑えるのですが、相乗効果がなくなったのは勿体無いなあというのが個人的な感想。
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しかしどうしてこうなってしまったのでしょうか。

それはやはり「うまくなる」というのは「よくない癖がなくなる」ということだからでしょう。by今週のめだかボックス

よくない癖がなくなり、理想の線が描けるようになっていくのが絵の上達なのですが、
このよくない癖というのは作家ごとの特色でもあります。
これがなくなるということは場合によっては望ましくないでしょう。ギャグマンガとか特に。

もちろん絵がうまいことが重要なジャンルの方が多いのは事実で、作品が取り扱う「現実(三次元)」の部分が多ければ多いほど、絵による作家の『色』を少なくした方がいいということになります。その方が現実味が出るからです。マガジンが絵のうまい作家を沢山抱えてるのはそういうわけ。

でも作者の色が薄い漫画はなんか楽しくないので、下手にうまくなるんじゃねーぞオメーら!(ひどい

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ちなみにこれを書いたのはモーニング2で連載中の「クレムリン」の欄外に

「この猫ちゃんならウチの子でも描けるわんと担当の嫁が言いました。喝。」
とか
「絵が上達しちゃダメだと担当に言われました。カレー沢薫です。」
とか
割とひどいこと書かれてたのでつい。

みんなで読もうクレムリン!

まあ、クレムリンの作画力は商業誌に乗っちゃいけないレベルですが(ぇ
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クレムリンの集中線を見るだけで笑いがとまらない俺は性格悪い。